2007年08月17日

翌日・・・

メロメロ今日のkokoroちゃんメロメロ


「どうや、ワシの小さい頃はなかなかかわいいやろ??」

晴れ8月17日晴れ


~kokoroママの妊娠・出産話(出産編)~


 「kokoroママンさん、kokoroママンさん」誰かが私を呼ぶ声がして目を覚ました。目の前にいたのは看護士さんだった。なぜ自分がベッドに横たわっているのかわからなかった。



「昨日はびっくりしたわ~」

「産後に倒れる事はめったにないんだけどね・・・」




 その時にやっと自分が昨夜倒れた事を思い出した。よく見たら、氷枕が頭とワキらへんにあった。「熱があったんですか?」と聞くと、「ちょっとね」という言葉だけだった。朝の検温では確か38度を少しこした程度で、倒れた原因も発熱からきた貧血みたいなもんと言っていた。心臓の事と関係していなくてよかったと少し安心した。本当は万が一・・・と少し心配していた。心臓の痛みの自覚症状が強くなった高校生の頃に初めて循環器科へ通った頃、「今は妊娠していないですよね?」と主治医に強く言われた。この時、母が心配して一緒について来てくれたのだが、母の前ではきちんとした事は言わなかった。ただ、私には「今の状態で妊娠はしないで下さい、今のままでは産む事がはっきり言って難しいです。もし、あなたが将来子供を産みたいと思うのなら今のうちに手術をしましょう」はっきりと医師が言った。この事を知った夜は、子供を産むという女性としての最大の機能を否定された気持ちになり、また、自分の将来も消えた感じがして泣いてしまった。でも、私は手術のリスクや薬治療でもある程度は回復する事を知ったので、手術を拒み、薬治療を選択した。しかし、薬治療でだいぶましにはなったものの、産む時にもしかしたら何か起こるかもしれない・・・という思いは少しあった。だから嬉しかったピカピカ子供を産めたこと、自分が元気なこと、これから家族として歩めること。


 熱で倒れたことに安堵したものの、結局、午前中にトイレまで行く事は出来なかったのでポータブルトイレが部屋に置かれたダウン手術後初めてのトイレは痛すぎてたまらなかった。そして、昼食前の検温では熱が37度まで下がったのでやっと子供に母乳をあげれるようになった。とりあえず、母乳をあげる前にわが子を見たいを思い、ご飯を食べてから痛いお腹を抱えて新生児室まで歩いてみようと試みた。あまりにも痛くて「くそが、くそが」といいながら歩いたのを覚えていますニコニコkokoroが生まれてから約1日後に私はわが子ときちんと会うことが出来ましたハート「周りの子と比べると確かに全てが小さいけれど、一番かわいいのはkokoroだ」とこの時から親バカっぷりを発揮していました。


 お昼すぎにはこわーいばぁばがお見舞いに来てくれました。ばぁばは私に見向きもしない感じで、kokoroを抱っこできるのかできないのか、看護士さんに聞こうか聞かまいか、一人戸惑っていました。ちょうどその時、初めての母乳の時間で看護士さんがkokoroを連れて来てくれました。「たくさん飲めよ~」とkokoroに言ったものの、肝心な母乳がでません・・・この日から私は母乳で悩まされる日々となりました。どうやったら子供が飲んでくれるのか、どうやったら母乳が出るのか、病院にいる頃は看護士さんじきじきにマッサージをしてもらったりしたのですが、どうも出が悪いダウンその事に私は頭をかなり悩まされました。そんな時、忘れられない一人の看護士さんのひと言があります。「赤ちゃんはちゃんと吸っているわ、お母さんがしっかりしてないから出ないんじゃないの?」と言われました。追い討ちをかけられた気分になりました。親切な看護士さんもいれば少し意地悪な看護士さんもいます。でも、きっと二人目を産む時に私はこの病院を決して選びません。結局、入院して4日目から搾乳して母乳の量を測り、哺乳瓶で与え、足りない分はミルクで補給することになりました。毎回毎回「こんだけしかとれませんでした」とナースステーションに言いにいく事が辛かった事を覚えています。


 子供に母乳をあげる時は激痛が走ります。しかし、それは普通のことであり、誰しも初めて子供に母乳をあげる時は痛いものだと思っていました。私も母乳育児をしたかったので、退院してからも母乳で頑張ってみたものの、痛いわりにほとんどでない事にいつも頭を悩ませていました。その時、私は忘れていた事を思い出しました。「産んだ後が一番大変なんだよ、まずあなたの場合、母乳をあげる時に心臓が痛くなるなると思うから無理だけはしないでね、あげたらすぐ横になって体を休めてね」薬治療をしている時に妊娠が発覚し、主治医に相談に行った時、確かに医師が言っていました。「先生は男だからきちんとした痛みはわからないけど、結構痛いっていうよ」はっきりと主治医の言葉を思い出し、私は本当に胸が痛いのか、それとも心臓が痛いのか試してみた。結果は両方だったが、どちらが強いかといえば心臓だった。いつも、私は母乳をあげる最中から激しい疲労感に追われ、ぐったりしていた。原因の一つはこれなんだ・・・・そう思った瞬間、私自身の中で母乳をあげる事が辛くなってきました。慣れない育児・出ない母乳・母乳をあげる辛さ・不眠・・・色んな事がめまぐるしく回って精神的に辛くなっていました。そんな時に私は40度の熱を出し、さらに母乳の量は半分以下にまで減りました。

   

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2007年08月15日

産まれた時

メロメロ今日のkokoroちゃんメロメロ


「ワシが生まれた時の写真の初公開じゃ」

晴れ8月15日晴れ


~kokoroママの妊娠・出産話(出産編)~


・・・・・前の話の続き・・・・・


 kokoroは予想していたより小さく産まれました。けれど、そんな事は私には関係ありませんでした。なぜなら、それよりも気になったことがあったからです。今まで超音波写真でkokoroの右手の指が4本しか写っていませんでした叫びだから、kokoroが生まれてすぐに私が発した言葉は「先生、kokoroの指は5本ありますか?」です。「ちゃんとありますよ」という言葉にとても安堵した記憶が残っています。その後、体をきれいに洗ったkokoroと対面しましたが、私は色んなものに繋がれていてきちんと抱っこする事はできませんでしたダウンその後タンカーに移り、母の待っている陣痛室で点滴をしている間にいつも私の事を気にかけてくれた看護士さんが来てくれました。




「さぁ、kokoroちゃんは産みの親じゃなくて


育ての親に抱っこしてもらおうか??」





 「はぁ??」って思いましたが、きっとこれからそうなるだろうと思っていた所があったので、私は返す言葉が見つかりませんでした。kokoroが生まれて初めて抱っこをしたのは私の母です・・・何だか虚しい。。。でも、私は出産後から寒気や足の震えが激しい上に止まらなく、抱っこは出来ないことは何となく分かっていました。落としたら大変ですしねスマイルkokoroが生まれた事をパパンに知らせないとと思い、写メを撮り、うまれたとだけ文字を書いて送信メールなのに返事は・・・「冗談はやめて」叫び慌てて私の両親がパパンにケータイで事情を説明してようやく理解してもらえました。夜になってパパンはいつもより少し早く会社を出られたらしく、クルマをとばして病院へきましたニコニコが、相当慌てたらしく、病院へ来る際に寄ったコンビニで車をぶつけ、少しへこませた車をとばしてやってきましたスマイルこれにママンは爆笑赤面この頃ママンは話をしたりすることは大丈夫でしたニコニコただ、桜が咲き始めた春というのにあまりにも暑がる私の為に、部屋はクーラーを付けていました。それでも私は汗をかなりかいていました。寒くなったり暑くなったり、産後の体は何でこんなに急変するんやと自分でもおかしいなと感じていました。


 
 その後、看護士さんからトイレ説明を聞くために病室のベッドから起き上がり少し歩いてみようと1・2歩歩くと下腹部の痛みをかなり感じました。支えがあっても「これはたまらんな」と思っていた瞬間、意識が遠くなり、目の前が真っ白になって立つことすら出来なくなり、床に倒れてしまいました。


「そういえば、産んでからまだkokoroの顔を見ていないな・・・」



「産まれたらすぐに母乳をあげるんじゃないの?おかしいな、もう夜中だよ」




・・・私が目を覚ましたのは次の日の朝となりました・・・


   

Posted by kokoroママ  at 21:52Comments(2)kokoroママの妊娠・出産

2007年04月29日

kokoroママの出産(1)

メロメロ今日のkokoroちゃんメロメロ



「ワシはようお花が似合うやろ??」

晴れ4月29日晴れ


~kokoroママの妊娠・出産話(出産編)~


 「え?全開大?」産院へ着くやいなや、子宮の開きを確かめる助産師さん達の声。4月3日、午前4時から15分おきにやってくる陣痛に耐え、午後七時、10分間隔の陣痛になり産院へ行くことになりました。私の初めて体験した陣痛の経験は「腰が痛い」という感想です。産院へ行くと助産師さん達が子宮の開きや赤ちゃんの心拍音を聞いたり、陣痛間隔をはかる機械の設置を始めました。「全開大に子宮が開いている」と言ったのは、助産師さんの間違いでしたアセアセ「こっちが慌てる立場なのに、何で経験豊富な助産師さん達が間違えるねん!!」この時はまだ笑えていたし、出された朝食もパクパク食べていましたレストランでも、ここからが本当の苦痛の戦いでした。


 陣痛間隔が狭まるのは急にやってきました時計私が思い描いていた陣痛の痛さとは、はるかに違うものでした。私が思い描いていたのは、1ヶ月ほど便秘でトイレで頑張っているぐらいなのかな~と思っていました。実際は、背骨を一秒間に何本も折られるような痛さで腰の痛みが激しく、歩く事もままならない状態でした。頭の中は真っ白、自分の意識なんて全くなくて、声を出すことも辛かったですアセアセ横にある机を支えて、必死にいきみを逃し続けることがどんなに辛いことか。

 
 とりあえず、陣痛間隔がまだ5分ぐらいの時、トイレに隠れましたダッシュ「地獄や・・・何でこんな痛い思いしなあかんねん、こんな痛い思いするんやったら今すぐ腹切ってくれよ」 「窓から飛び降りた方がすぐに楽になれる、でもここ二階やから落ちても救急で運ばれるだけやろな」この痛みから逃げる方法しか考える事ができませんでした。陣痛は一日程度の我慢やから乗り切れると思っていたのは安易な考えだったのです。本当に辛く、痛みをこらえるのも辛く、泣きたい気持ちばっかりでした。つい昨日まで、かわいい子供が生まれる事を楽しみしていた日々だったのに、陣痛の間は赤ちゃんの事を考えず、自分の事ばかり考えいた私はどーしよーもない女だったと今でも反省しています。自分の意志で「産む」と決定したにも関わらず、陣痛から逃げる事を考え、自分の情けなさに腹を立ててしまいました。何が一番大切か、何の為に頑張っているのか、そんなの・・・答えは決まっています。赤ちゃんに会いたいからに決まっています。陣痛とは、自分自身との戦いでもあります。陣痛を乗り越えることで、きっと母性が成長するものだと思います。この時、私はまだまだ母親としての自覚がまだまだ少なかったのだと思います。トイレの外で心配そうに母が待っていて、とりあえず陣痛室へ戻りましたが、またもやトイレに隠れてしまいましたダウン痛くて・・・・辛くて辛くてたまりませんでした。


 すると、心配そうに来てくれた助産師Aさんが「きばったらあかんで」と声を掛けに来てくれました。このAさんは、私が学生で妊娠した事を気にかけてくれて、色々話を聞いてくれた人でもありました天使実は、このAさんも学生結婚で子供を出産したから私の事を気に掛けてくれいた様です。この人が来てくれて、私はやっと「出産がんばるぞ」という気持ちになりました。それまではせまってくる陣痛を逃すためにマッサージをしてくれた助産師さんがいましたが、私はつい叩いてしまいました。触られる事がとても不快でしたし、「痛い痛い」と叫んでも全く来てくれない助産師さんに怒りを覚えていたからです。陣痛の間は精神不安定の状態と言っても過言ではないと思います。そんな中、私はきっと何か支えになるものが欲しかったのです。一緒に陣痛を乗り越えられる頼もしい人がそばにいて欲しかったのです。私にとってAさんは、学生で妊娠した事を応援してくれる唯一の味方だと感じていた所がありました。

 

 助産師さんとトイレから帰った後、せまってくる陣痛にしばらくは耐えていましたが、やっぱりこらえきれない気持ちが涙と一緒にほろっと出てしまいました。涙は人に見せたくないのですが、耐え切れませんでした。



「何でこんなに痛い思いしなあかんの」



 今までしてきた事を必死に反省をしていましたタラーッ反省すれば、痛みも和らぐかも・・・とすがる思いが少しありました。言葉では決して言えない痛み、出産は鼻からスイカ出すような痛さとか言いますが、そんなもんじゃない。そんな簡単な言葉で出産の痛みを表現して欲しくない。この痛みがあるから子供が愛おしいと感じるのだと思いますが、この痛みを体験している間は本当に地獄です。しかし、この苦しい痛みを体験して私が一番初めに思ったことは両親への感謝の気持ちです。今まで育ててくれた感謝もありますが、私を産んでくれた感謝、愛してくれた感謝。ひしひしと心の中から湧き出てくる感謝の気持ちを、私は感じずにはいられませんでした。きっとこの痛みがないと理解できなかったと思います。この痛みで私は少し、大人としての成長と母性の目覚めをしたのかもしれません。


 「分娩台に上がって」といういつも私に気にかけてくれた助産師さんの声。分娩室で待っていたのは助産師3人と医師のみ。パパンは仕事でこれませんでした。本当は立ち会って欲しかったのですが、会社内で移動した初日だったので無理なことは分かっていました。助産師さんが何度も「電話してきてもらおう」と言ってくれた気持ちは嬉しかったのですが、断るしかありませんでした。足を縛られて頑張っていきみますが、赤ちゃんはなかなかおりてきません。何回も何回もいきんで、体力がなくなってきて「もう無理」とか言って急にいきむのをやめたりしたら、「あんた若いのにおばちゃんやな~」と笑われたりしましたタラーッ助産師さん達は世間話をして何やら楽しげの雰囲気ムカッこっちは痛いのを我慢しているのにガーン体力は限界をはるかに越えていました。体は汗でびっしょりでした。そして、午後三時時計羊水で緑色の肌のkokoroちゃんが生まれました拍手が、妊婦検診で予測していた体重よりはるかに小さく生まれました。


   

Posted by kokoroママ  at 17:05Comments(2)kokoroママの妊娠・出産

2007年04月11日

つわりの頃

メロメロ今日のkokoroちゃんメロメロ


「おや・・・・このお菓子は・・・」

これも少し前の写真です

くもり4月11日くもり


~kokoroママの妊娠編 (3) ~


 
・・・・・・前の話の続き・・・・・・


 妊娠が両親に判明してから、(現)パパンが挨拶をしに私の実家まで来た電車きっと怒られるだろう、殴られるだろうと思っていたみたいで、お腹にタウンページをいれようか本気で考えていたらしい・・・けれど、私の両親は快く(現)パパンを受け入れてくれた音符その一週間後、東北からパパンの両親が訪ねて来たクルマもちろん、結婚式の話やこれからどうするのかという話。向こうの両親は、私のお腹が出る前に早めにした方がいいと言っていた。でも、私は嫌だった。




「母のいない結婚式は挙げたくありません」





 自分からこんな言葉がでるなんて思わなかった。でも、結婚で一番に喜んで欲しいのは、今まで育ててくれた親。親が出席しない結婚なんて挙げない方がまし。今まで母とはたくさん喧嘩して、本当に大嫌いだった、うっとうしかった、けど、本当はきっと大好きだったんだ。嫌いでしょうがなかったけど、憎むことは出来なかった。きっとそれが切りたくても切れない親子関係なんだろう・・・


 お互いの両親が話を進める中、私の母の様子が変だったオドロキやっぱり体調が悪いみたいだ大泣き母には本当に悪い事をした、病気なのに大変な思いをさせてしまった。(現)パパンの両親が帰ったら、母はすぐに寝室へ行き、寝込んだ。実は、母はまだ私達のことを許してはいなかったのだ。


 私が母の看護をするために実家へ帰る頃、つわりが始まった。頭痛・吐き気・匂いも無理になり、一日中布団の中で寝てたzzz気持ちが悪くて、動く事も椅子に座る事も何もかもしんどかった。ご飯なんて食べる事が出来なくて、いつも胃液が出たのを確認しないと寝られなかったアセアセちょうどこの頃から学校が始まった学校授業中も吐き気は続き、ずーっと寝ていたzzz通学の道のりで倒れたこともあった。同じ必修の授業の友人が助けてくれたのでよかった。学校まで30分の道のりが、妊婦には1時間かかってしまう、学校へ通うのは辛かった学校何度、通学路で吐いた事だろう。看護しなければならない私が看護されることになった。自分が情けなかった・・・


 つわりの間、自分の体調に驚かされた。吐くことをコントロールできるようになった私は、自分自身を殴りたかった。「私もママになるんやな~」と思うと、私の体はすぐに胃の中の物を全て外へ吐き出した。「嘘やろ・・・」と思っていたが、何回やっても吐いた大泣き”産む”と決めたのは自分、頭ではわかっているのに何で??頭の中では自分が母になる事を理解しているのに、体は拒否しているように感じたダウン涙が出た。辛くて辛くて、(現)パパンにこの事を言うことが出来なかった。「やっぱり堕ろす?」そう言われる事が恐かったからかもしれない。それから私は、(現)パパンが仕事に行ったのを確認してから、ぬいぐるみで「自分はママや」と洗脳させ、赤ちゃん練習をした。見られたくなかった。そこまでする自分が恥ずかしかった、でも、そうしなければきっともっと大変な事になっていたのかもしれない。そのせいか、つわりは長い事続いた・・・


 その頃、学校が始まって、私は大学の友人・地元の友人に一括でメールを送った。その日は(現)パパンと婚姻届けを出した日だった。「結婚することになりました。名字が変わります~・・・・・」メールで教える事は冷たかったのかもしれない。驚いた友人達は何人か電話してきた。でも、結局聞いてくるのは「本当に産むん?それでいいの?」ということ。産むと決めたからメールしたのにな・・・・私の友人の大半は産む事を反対した。もちろん私の将来の事などを考えた上で言ってくれたのだろうが、私には反対される理由がわからなかった。自分の子どもを愛しいと思わない母はいないと思う。仲のいい友人しか教えていないのに、あっという間に大学で私が妊娠している事が広まった。みんなの視線を感じる日は多かった。でも、その視線は冷たい視線だけではなかった。「がんばって」と励ましてくれる人もいた。それでも私は大きいお腹をダウンで隠して学校に通った学校私は私と割り切ってはいたけど、やっぱり大きいお腹は恥ずかしかった。自分だけが周りと違う・・・友人と話す度、本当は心が痛かった。一人だけ違う世界にいる様に感じた。それでも笑っていなければならなかった。頭では分かっていてもきちんと割り切れていない自分が憎たらしかった。妊娠8ヶ月まで大学へ通ったダッシュ春休みが始まり、休学届けを出して、実家へ帰り出産する準備に入ったサクラ桜のつぼみがふくらみはじめた頃だった。  

Posted by kokoroママ  at 20:50Comments(6)kokoroママの妊娠・出産

2007年04月06日

母が気付いた時

メロメロ今日のkokoroちゃんメロメロ


「ワシ少し鼻水ましになったで」

晴れ4月6日晴れ


~kokoroママの妊娠編 (2) 妊娠発覚の時 ~


・・・・・前の話の続き・・・・・


 妊娠が判明した次の日は、毎年楽しみにしている花火大会だった花火一緒に住んでいる友人と、友人の彼氏・私・私の彼氏(現:パパン)と花火大会に行く予定だったダッシュ毎日入れていたバイトもその日は休み、みんなで遊ぶ予定だったはずなのに、結局、病院へ行くようになったダウン病院へは(現)パパンもついてきてくれたクルマ初めていく産婦人科は緊張した。待ち時間の間、病院内で「初めてのたまごクラブ」を読んで自分が本当に妊娠しているのか、何度も読み返した本自分の診察が終わって先生に呼ばれると、やっぱり”妊娠している”と超音波写真を私に見せて説明してくれた。”おめでとう”とは言われなかった。むしろ、同情している様な顔で接されたような気がした。私は言葉が出なかったが、




「親には連絡しないですよね?」





 この言葉だけ言った。ちゃんと聞いておかなければならなかった。母が知ってしまったら病状が悪化すると思ったからだ。診察が終わるとすぐに母からのケータイが鳴った。特に用事もない電話だったが、内心は驚いた。それから家に帰って浴衣を着て準備をして、花火大会に行った花火毎年楽しみにしている花火大会、でも、今年はちっとも楽しくなかった。なぜなら、私は今日からは妊婦であり、「段差など注意して」と気を遣ってくれる友人の優しさが、余計に心を痛めた。せめて、花火大会の時だけでも、現実と離れたかった、花火なんてちっともきれいじゃなかった・・・・・


 何度も打ち上げられる花火を見ながら私が思ったことは、「来年は子どもと一緒に花火を見るんだろうな」ということ。そう、私は出産することに決意したのだ。私は病院の帰り、先生がくれた超音波写真を車の中でじーっと眺めていたオドロキ手足の形もない赤ちゃん(kokoro)はとても可愛かった。「どんな子だろう、見たいな、会いたいな」堕ろす事は考えなかった、むしろ、妊娠が判明した時から、本当は嬉しくてしょうがなかったハートトイレで泣いていたのは、これからの不安ややりたい事もまだまだたくさんあったから。けれど、そんな事より、私にとって”子ども”の方が何よりも大切だった、彼氏や自分の家族など全てをなくしても、私にとって子どもの方が大切だった。家族の温かさが欲しかった、だから家庭を築きたかった・・・・ 



 ただ”出産”を選択したものの、小さな問題があった叫び元々、私は小さい頃から心臓病だった。高校生の頃から自覚症状が出てきて、毎月の通院や検査、薬治療をしていたダウン



「出産の時に困るから手術していた方がいいよ」




 そういう医師の言葉を何度も聞かされていたが、私も家族も薬治療を選んだ。手術をすれば治るらしいが、手術なんてまっぴらごめんだフンッ妊娠しなかったらいいだけやろ?と思っていた。だから、薬も飲んだし、検査や通院もした。でも、自覚症状は友人と同居をしはじめてから、悪化した泣きたびたび立ちくらみをし、急に倒れる事もあった。けど、この事を親に言ったら連れて帰られると思ったので言わなかった大泣きそして、薬を換えたり量をふやしたりして、ある程度落ち着いた時に妊娠が発覚したアセアセでも、いくら症状が落ち着いたと言っても私は出産できるのか・・・・妊娠したことは嬉しかったが、未来が真っ暗になった



 不安な壁が私を取り囲む、けど、一枚ずつ壊していかなければならない。そう思って、まずはいつも心臓の方で通院している病院に相談に行こうと「心臓痛いから病院行くんやけど、保険証持ってきて」と兄にケータイして頼んだ悪魔けれど、その場面を一番見られてはいけない母に見つかった叫び


 
 病院から久々に実家に帰ると、病人なのに角を生やした母がいた。聞くことは一つ。何度も「心臓痛かったから病院いっただけやん」と嘘を言ったのだが、通用しなかったダウン母親の感はやはりすごい。私は、妊娠したことを報告した。すると、母は、




「誰にも言えなくて辛かったね、相談にのれなくてごめんね」

 



 母は涙を流しながら私の手を握った。私はそれまでこらえていた涙がぼろぼろと出てしまった。こらえてもこらえても止まらなかった。母の優しさが心に染みた。ただでさえ病人なのに、娘を思う母の気持ちが痛い程よく分かった。本当は辛かった、”妊娠”の事を母にさえも言えないこと。「おめでとう」なんて言われなくてもいい、でも、”妊娠”したことだけはいつかは母に知って欲しかった。それ以上は望んでいなかった。母は「でき婚だけはやめて」と口癖のように言っていたから、私はもう家に帰るつもりはなかった。今まで散々迷惑をかけたから、これ以上迷惑をかけたくなかった。



 父親の意見は真逆だった。私は生きては帰れない雷と思っていた。しかし、父の反応は冷静だった。母が病気な分、冷静でいなければならなかったのかもしれない。「大学はきちんと卒業すること」という約束のもと、父と母は出産を許してくれた。けれど、本当は怒って欲しかった、「家を出た奴が妊娠して帰ってくるなんて恥さらしやわ」それぐらい言って欲しかった。私は、冷静な父と母が恐かった。この後はもう話が前進していくばかり・・・大事な友人も実家に帰る事になった。そして、後期の大学の授業が始まった学校学校の友人はまだ誰も私が妊娠した事をしらない・・・・  

Posted by kokoroママ  at 16:43Comments(7)kokoroママの妊娠・出産

2007年04月04日

妊娠発覚?どうする、私?

メロメロ今日のkokoroちゃんメロメロ


くもり4月4日くもり


~kokoroママの妊娠編 (1) 妊娠発覚の時~ 


 2005年夏、その頃ママンは友人と二人で住んでいた家ママンにとって、とても大切な友人、彼氏以上に大切な友人、その思いは今も変わらないウザギ「二人とも就職しても一緒に住めたらいいね」こんな事を毎日楽しく話していた家しかし、ママンは友人を裏切る形となってしまったダウン今でも、その事がママンの心を痛める・・・・ 


 クーラーが常に”強”設定のはずのバイト先で、いつもは寒いと感じるのに近頃は暑いと感じ、自分の体調の変化に気付く。この頃のママンはバイトをかけもちしていたので、微熱があることも体調不良にしか思っていませんでしたオドロキでも、女とはすぐに気付くもの。バイト帰りにふざけた気持ちで買ったものの、試すのはこわかった。友人が待っている家へ帰ると、友人はちょうど彼氏とDVDを借りに行くというケータイが鳴った。ちょうどよかった、結果はだいたい予想できていたし、きっと泣いてしまうからそんな姿を友人には見られたくなかったダウン涙は人にみせるものではないから。でも、結局一人でトイレで泣いてしまった・・・・説明書は嘘つきだ。~三分で結果がでます~すぐに結果が出たじゃねーかフンッ私をすぐにぞんどこに落としいれたかったのか?そこまで私の涙を早く見たかったのか?



 一時間がたち、現実と向き合おうと思い自分の部屋に入って一番先にさわったものは携帯ケータイ「誰に相談しよう、誰が親身になって聞いてくれる?」友人リストを何度も見て考えた。親に相談するなんて考えられなかった。言えるはずがなかった。この時のママンの母は病気で看護が必要だったひつじ当時、私はその月の後半のバイトを全て空けていた。実家へ戻り、母の看護をするはずだった家





「言えるはずがない」



 

 
 私は今まで母にたくさん迷惑をかけた。私は母が大嫌いだった、母もその事は気付いていた。だから友人と住む事に反対はしなかったアシ「お互い離れた方がいい関係になるかもね」そう言っていたたこそんな母が病気になって、一番に私に頼ってきてくれた母の気持ちが何よりも嬉しかった音符だから余計に言えなかった、言ったら何もかも失くしてしまいそうだったから。


 どんなにお互い嫌っていても永遠に切れないものは家族関係この頃から私は気付いていたと思います、家族がどんなに大切かということを。それまでは気付くことができませんでした



 携帯で友人リストを何度も見ている私の所に友人からの着信が鳴ったケータイ「今から戻るねハート」明るく振舞うのは慣れていた。だが、”妊娠”は一人では抱えきれない問題でもあるし、必ず言わなければならない問題である。私が一番に妊娠の報告をしたのはこの友人だったブタなぜなら、この友人は私にとって彼氏以上に大切な友人だからピカピカ

 今でも、電車から見える友人と暮らしてた家を電車で通るたびに見てしまいます大泣き今でもこの友人とは時々連絡をとっています。お互い生活が極端に異なりあまり連絡をとっていませんが、元気な声を聞くと私は安心しますネコ別にレズではありません、パパンもkokoroも大好きですサクラ


 妊娠した事は友人に話してから現在のパパンに話しましたケータイ一番先に友人に話したのは、友人が大切だったからというのもありますが、やっぱりパパンに言うのはこわかったからというのもあります泣き言ったら何もかも失う可能性がある事、それでも言わないわけにはいかなかった。この時、私の中ではどうするか結論はでていましたヒ・ミ・ツ現実と向き合っていた、だからパパンに言う事ができたんだと思いますたばこ悩んでいても、小さな命は私のお腹の中でゆっくりと育っていているのです、この時から子どもを”愛しい”という気持ちが生まれていたのかもしれない・・・・   

Posted by kokoroママ  at 23:59Comments(0)kokoroママの妊娠・出産

2007年04月01日

奇跡?の話

メロメロ今日のkokoroちゃんメロメロ



「ワシ、今パパンと一緒に阪神の試合見てるねん」

くもり4月1日くもり

 とうとう4月になりました拍手去年より早めに桜が咲いたような感じがしますサクラ去年のこの日は、kokoroが2日以降に生まれるようにお腹に喋りながら、一日中運動して赤ちゃんを下におろすようにしていました赤ちゃん本当はkokoroが生まれる予定日はまだまだ先のはずですが、私の身長が低い事や赤ちゃんが大分大きくなったのもあり、「早く産まないと」というこわーい先生の雷がでたので、毎日毎日朝から晩まで運動をしていましたニコニコ産院では出産を早める「はり治療」やマッサージの仕方を教えてくれました本



「二日は微妙やから三日あたりにでてきてなぁぁ~」





 学年で一番上になる日にちが2日か3日か忘れていて、とりあずお腹にいるkokoroに「3日以降に出て来て」とお腹をさすりながら毎日散歩に行っていました大泣きそしたら、奇跡?が起こりました




kokoroはママの願いを聞いてくれました





 kokoroは4月3日の15時調度に産まれてくれましたチョキ3と3の数字が重なりあってびっくりしましたアセアセでも、もっとびっくりしたのは、私が陣痛で苦しんでいる中、私の母が「3時に産まれるからしっかりしぃ」という言葉ガーン




母の予想が的中





 すごいですね~!!やっぱり女の感はすごい?その頃パパンは仕事で会社にいて、産まれたよと写メを送ったにも関わらず、




「冗談もたいがいにしとけよ」というメール






 ひぃぃぃぃぃぃぃぃ~!!パパンの子供なんですけどアセアセ「陣痛始まったから病院行ってくる」というメールを朝に送ったんですけどね~タラーッどうやら”陣痛が始まったら子供が産まれる”ということをわかっていなかったのかなぁぁ?ママンの父がきちんと連絡して理解したらしく、夜に病院まで飛んで来ましたニコニコ嬉しかったのか慌てていたのか分からないですが、急いでいたため自動車をコンビニであてたらしいですオドロキでも、ママンはあのメールは忘れんぞ~きーっちりこの事を覚えているからね、覚悟しといてねハートパパンハート



ケーキ今日からたまーにkokoroの出産の時の話や妊娠の時の話などを書きますねケーキ


クルクル(クレオ)
  

Posted by kokoroママ  at 14:50Comments(5)kokoroママの妊娠・出産